「遺言はパソコンやスマホで作れるようになる」。2026年6月17日に成立した改正民法により、そうした報道を目にした方も多いと思います。親の相続や認知症対策を考え始めた子供世代にとって、「結局、今の遺言と何が違うのか」「いつから使えるのか」「本当に自分たちだけで作って大丈夫なのか」は気になるところです。この記事では、新しく生まれる「保管証書遺言」(通称デジタル遺言)について、現行制度との違いを整理しながら解説します。
「スマホで遺言」の正体は、自筆証書遺言のデジタル化ではない
現在、多くの人が利用している遺言には自筆証書遺言と公正証書遺言の2種類があります。自筆証書遺言は、遺言書の全文・日付・氏名を本人が手書きし、押印することで成立します。財産目録だけはパソコンで作成したり通帳のコピーを添付したりできますが、本文は自書が必須です。手軽に作れる反面、書き間違いや押印忘れによって無効になるリスクが常につきまといます。
2026年の改正で新設されるのは、この自筆証書遺言のルールを変えるものではありません。「保管証書遺言」という、まったく新しい方式が加わります。パソコンやスマートフォンで作成した遺言を法務局に保管してもらう制度で、新民法第967条・第968条の2・第968条の3に規定されます。現行の普通方式の遺言は自筆証書遺言・公正証書遺言・秘密証書遺言の3種類ですが、保管証書遺言が加わることで4つ目の普通方式となります。つまり「今ある自筆証書遺言が簡単になる」のではなく、「新しい選択肢が増える」というのが正確な理解です。
押印は不要になるが、自書の負担は残る
改正のもう一つのポイントは、自筆証書遺言における押印要件の廃止です。これまでは全文を手書きしても押印を忘れただけで遺言が無効になるという落とし穴がありましたが、改正後はこのリスクがなくなります。
ただし、押印が不要になっても、「全文・日付・氏名を自分で書く」という自書の要件は維持されます。自筆証書遺言が丸ごとパソコンで作れるようになるわけではありません。パソコンやスマホだけで完結する遺言を作りたい場合は、新設される保管証書遺言を選ぶ必要があります。

デジタル遺言でも「本人確認」の手続きは簡略化されない
保管証書遺言でも、単にデータを提出するだけでは足りません。本人確認に加え、遺言者自身が遺言の全文を口述することが求められます。これは、第三者によるなりすましを防ぎ、遺言が本人の真意に基づいて作成されたことを確認するためです。申出があり保管官が相当と認めた場合は、映像と音声で相互に確認できる方法、いわゆるウェブ会議での対応も可能とされていますが、いずれにせよこの手続きを省略することはできません。
作ること自体は手書きより簡単になりますが、正しい遺言を作れるかどうかは別の問題です。法務局は保管証書遺言についても、財産の特定方法や遺留分への配慮といった内容の適切性まではチェックしません。形式が整っていても、記載内容に不備があれば相続時にトラブルの原因になります。
いつから使えるのか
改正民法は2026年6月17日に成立し、同月24日に公布されました。しかし、施行日はまだ決まっていません。施行は制度ごとに段階的に行われる予定で、押印要件の廃止は公布から1年を超えない範囲で政令で定める日、保管証書遺言はシステム整備が必要なため、公布から3年を超えない範囲で政令で定める日とされています。具体的な施行日は今後、政令で定められます。現時点では保管証書遺言はまだ利用できません。
法務局の遺言書保管制度とは別の仕組み
すでに存在する「自筆証書遺言書保管制度」と混同しやすいため整理しておきます。この制度は、手書きで作成した自筆証書遺言を法務局に預けて保管してもらう仕組みで、現在も利用できます。対象はあくまで紙の自筆証書遺言であり、本文は自書が必須です。
一方、今回新設される保管証書遺言は、パソコンやスマホで作成したデータそのものを遺言として成立させる新しい方式です。「紙の遺言を法務局が預かる」既存の制度と、「デジタルデータで遺言そのものを作る」新制度は、名称が似ていますが法的な性質が異なります。
専門家に相談する価値は変わらない
保管証書遺言が施行されれば、手書きの負担なく遺言を作成できるようになります。パソコンでの入力に慣れている方や、字を書くことが身体的に難しくなってきた高齢の親にとっては、選択肢が広がることになります。
一方で、財産の分け方や遺留分への配慮、相続税を見据えた文言の設計といった内容面の適切さは、作成方式がデジタルになっても自動的には保証されません。むしろ、作成のハードルが下がることで、内容を十分検討しないまま遺言が作られてしまうリスクも考えられます。制度が新しくなる今こそ、親の遺言について子供世代から相談を持ちかけ、司法書士などの専門家に内容面の確認を依頼することの価値は変わりません。
今すぐ遺言を作る必要があるなら、デジタル遺言の施行を待つ必要はありません。遺言は何度でも書き直せますので、現在利用できる自筆証書遺言や公正証書遺言で準備できます。施行までにはまだ時間がありますが、その間に親の判断能力が低下してしまえば、新しい制度を待つこと自体がリスクになります。デジタル遺言の登場をきっかけに、今のうちに準備を進めておくことも検討する価値があります。